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命を支えるということは「見ようとする。思いを寄せる」。ぬいぐるみに表れた関係性に触れる

久留米で30年以上、ホームレスの暮らしを支える活動団体があります。「伴走支援はどちらかが死ぬまで」と覚悟を語るのは「久留米越冬活動の会」代表の畠中茂生さん。人が人を支えることとは―

毎月第4火曜日、小頭町公園で「越冬炊き出し」があります。同会が「越冬」目的で始まったものが通年開催に。 毎回30~50人ほどが食料や衣類、その他の生活物資を求めて集まります。火曜ごとのパトロールでチラシを配って路上生活者などに情報を届けます。「ここ数年は顔ぶれが変わりましたね。昔はいわゆるホームレス状態の人が大半でした。今は日々雇いで賃金をもらってネットカフェ住まいだったり、家はあるけど社会から孤立して困窮していたり。路上生活ではないから存在が見えにくい。『ハウスレス』ではないけど、拠り所や安心が断たれた『ホームレス』です」と畠中さんは言います。

炊き出し会場で「前頼まれていた靴が届いてるよ」と、スニーカーを渡す同会のスタッフ。「やっぱり歩きやすいです」と男性は嬉しそうでした

炊き出しは人とつながる機会

佐賀県西部で暮らす増本洋子さん(60代・仮名)は、以前久留米で同会の支援を受けた一人です。畠中さんは振り返ります。「初めて炊き出しに来た彼女は、ぱっと見て支援が必要な人だと思えなかった。友人にお風呂を借りるなど、常に身なりに気を配っていたようです」。増本さんは温泉券がもらえると聞いて炊き出し会場に来たのだそう。そこから関わりが始まります。「月1回程度じゃ食事の支援にはならない。でも、やる意味は絶対にある」。必要な人とつながる場としての価値を畠中さんは訴えます。

新型コロナの影響で、食材の提供に形を変えて炊き出しを継続。この場がある大切さを感じたエピソードを畠中さんは話しました。「ある都市でホームレスの女性が殴り殺されました。犯行の動機は『単純にそこにいてほしくなかった』。現場の数十メートル先には女性支援施設があったけど、女性はそれを知らなかったし、だれも声をかけてあげられなかった。必要な情報は必要な人に届かなければいけないんです」。(写真を加工しています)

令和2年、増本さんは自転車で移動中に車と接触。大腿部骨折の大けがで入院しました。数日後、病院から同会に連絡が。不審な人物が病室に出入りしているという情報でした。畠中さんはすぐに面会を制限するよう病院にお願いしました。「女性の路上生活者は狙われやすいんです。おそらく彼女に入る事故の賠償金を狙ったんでしょう」。畠中さんは増本さんに、安全のために久留米を離れることを提案します。

増本さん宅で取材。同会に入院の知らせが来た時、畠中さんは誰のことか分からなかったそう。「病院に偽名を伝えてたんです。いろんなことを隠して何とか生きてきたのでしょうね」

生活再建、一手に請け負う

増本さんは「畠中さんが命綱だった」と当時を振り返ります。「話し合った結果、退院と同時に生まれ故郷への移住を決めました。その段取りと準備を越冬の皆さんがやってくださったんです。この状況で1人で引っ越すなんて、とてもじゃないけどできなかった」。
同会はアパートの手配や最低限の家財道具の調達に取り掛かりました。移住先にはリサイクルショップが少なく、久留米で調達して軽トラックで運びました。「同じ物でも値段が全然違うんです。できるだけ出費は抑えないと。相場はだいたい頭に入ってますから」と畠中さん。

「本人は働くつもりのようでしたが、リハビリのためには入院が必要でした」と、生活保護申請を選択しました。移住者の保護申請はスムーズに進まないことがあると言います。「今回もいろいろあってね。移住先の役場での手続きに顧問弁護士と同席したんだけど、職員から同席を遠慮してくれと言われて。『国から通知があるでしょう。同席は拒否できないはずです』と伝えましたよ。そういった知識がないと、うまく進まないこともあるんです。久留米では考えられないけど」。

移住して2年。今でも時々畠中さんは増本さんの様子を見に来ています。取材時も小一時間ほど談笑し、必要な物などが無いか聞いていました

「生きていくことでお返しを」

増本さんの部屋の片隅にクマのぬいぐるみが置かれています。「こっちで入院する時に畠中さんがくれたんです。『1人じゃ寂しかろうけん』って。人からこんなに優しく気がけてもらえて。だから『私が生きていくことでお返ししなきゃ』と改めて思えたんです」と増本さんは涙を浮かべました。

 経済的な面だけでなく、漠然とした将来の不安にも寄り添い、ケアしてくれたと感謝する一方で、増本さんは昨年、2カ月にわたり保護費が少なく支給された時のことを話し始めます。「差額は1000円ほどだったんですけどね。職員さんの1000円と私の1000円では意味が違う。『すみません』とは言われるけど『困ってませんか』とは言ってくれなかった。福祉って何だろうと思いました。畠中さんは毎月『生きてるか』と電話をくれる。生活保護は国の支援制度。もちろんありがたいです。でも、畠中さんたちの支援は当たり前にあるものではないんです」。

「現場はルールや規則だけで動いていません」と話す畠中さん。「対象者に『支援をやめるぞ』という強い言葉を言ったこともあります。それは、その人とパートナーとの未来を真剣に考えた『私たちからの懇願』だったんです。結果、気持ちは通じて、今も関係は続いていますよ」。取材は市役所本庁舎の地下1階エスカレーター横にて。同会は毎週月・水・金曜の午前中、家計や各種手続きの相談に対応。この体制を取ることで、緊急の支援要請にも迅速に対応できると言います

畠中さんは自身と目の前の支援対象者とに違いはないと言います。「実は僕、刑務所に入っていたことがあります。また、妻を病気で亡くして、3年くらい抜け殻のようになっていた時期もあった。人生はいつどうなるかわからない。現状なんか一瞬で崩れ去るものです。明日は我が身と言う気持ちが活動の支え」。心が折れると人は簡単に命を落とすと言う畠中さん。人の苦しみは見ようとしないと見えない。それに気づくため、暮らしに思いを馳せて、小さな事にどれだけ気付けるか。「それこそが『命を守る』ということだと思います」。


ぬいぐるみにはパーカーが着せられています。「昨年の冬、すごく寒かったでしょう。この子も寒いだろうと思って子ども服を買ってきて着せました」と増本さん。畠中さんがぬいぐるみと共に届けた思いは、今なおここに。「畠中さんの心配りには本当に頭が下がります。入院中に届けてくれた肌着も明るい色の素敵なセレクトでしたよ」と笑いました。
(担当・フトシ)

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