50歳離れた同級生の「いっちょん分からん」から生まれた関係
木下(きした)修一さん(72)と大倉将太さん(21)は年の差50歳の同級生。令和5年3月1日、県立明善高の定時制課程を卒業しました。1年生の頃は「時々、お互いに声をかけることがある程度」という2人。その後徐々に会話が増え、距離が縮まっていきます―
私はおじいちゃんみたいなもん
木下さんは、中学卒業後、家業を継ぐため修行に出ます。その後、父親の事業を継承し、27歳で刃物加工会社を創業。「でも、心に刺さった小さなとげのように、高校進学の気持ちがずっと残っていました」。事業が安定したこともあり、令和元年、68歳でようやく高校に入学しました。
「年寄りだから、学校ではじーっとしとこう」と木下さんは決めていました。しかし、1人の女子生徒が休み時間のたびに話しかけてきて、離れません。「トラブルが起きてからでは遅いと、先生を通じて母親にお願いしました。やんわりと。でも逆にお願いされることになって」。他人とのコミュニケーションが苦手で、ほとんどの同級生と上手く話せないといいます。でも、木下さんには自ら話しかけます。「お母さんはうれしかったんでしょうね。私でよければと話し相手になることにしました」。
「同級生の多くが自分を出すのが恥ずかしいようですね。その感覚はいっちょん分からん。ゲームの話とかも分からんし」と木下さん。「私と接する時は、自分がどう見られているかとか気にしなくて済むのが良かったんじゃないかな。50歳も離れておじいちゃんのようなものだから。あの女子生徒もそんな気持ちだったのかもしれません」と言います。「他にも何人かの生徒が私にぽつぽつと話しかけてきました。そのおかげで私にとっても居場所ができたんだと思います」。
大倉さんも同じように木下さんに心を開いた一人。やはり人とのコミュニケーションに積極的ではなかったと言います。
暮らしを打ち明ける間柄に
「学校で仲良い人をつくろうとは思ってなかった」と大倉さんは話します。中学時代に母親を亡くし、父親は病気がち。高校入学の数ヶ月後に父親が入院し、17歳で一人暮らしとなりました。
木下さんとは、2年生の頃から徐々に話すように。「木下さんが食事に誘ってくれて、一緒にラーメンを食べに行ったりしました」。3年生になった頃には父親の病気や生活のことなども打ち明けるようになり、学校で一番話す間柄になっていました。
卒業目前の令和5年1月。大倉さんの父親が他界しました。「父のことも話していたので伝えるべきかなと思って。もしかしたら少し頼れるかなとも思ったし」と大倉さんは木下さんに連絡します。「これからどうなるのか不安だったろうし、一人じゃ心細いだろう」と、以前から状況を聞いていた木下さんは、今後の住まいや生活の段取りをサポートしました。大倉さんは「一段落してからは、木下さんが何かと外に連れ出してくれました。頼れる人がいて心強かった」と振り返ります。
同級生の間に生まれた安心感
木下さんが印象に残っている出来事があります。2人が4年生になった令和4年の4月下旬、大倉さんから「僕、今日でハタチになりました」と報告があったそうです。「誰も祝ってくれる人がいないよなと思って、私の行きつけの小料理屋に行きました。大倉さんは初めてのビールを飲んで、一緒に二十歳のお祝いをしました」。
積極的に話すことが無かった大倉さんが「自分から打ち明けてくれたのがうれしかった。それに私を接点に、最初に話した女子生徒とも徐々に打ち解けてきて。改めて入学して良かったと思えました」と木下さんは話します。
卒業後、大倉さんは木下さんの会社に正社員として採用されました。2人の新しい関係は「社長と社員」。木下さんと一緒に通信大学にも入学したので「同級生」の関係も続いています。
育った環境も世代も常識も能力も違う。「いっちょん分からん」同士が一緒にいて生まれた安心感。理解し合えないからの「グッチョ」もあるようです。
(担当・フトシ)
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