カット代は農作物で。惣菜に生かす。お金を介さないことで生まれる「日常の延長感」
水天宮の門前、久留米市瀬下町で美容室と惣菜店が並んで営業しています。ここで行われているのは「廻」という一風変わった取り組み。お金を介さない取引で生まれる感覚とは―
カット代を農作物でもらい、惣菜の材料にして販売する。始めたのは美容室「余韻」を経営するノダタツヤさんと、惣菜店「咀嚼(そしゃく)」のマナミさん、ノブコさんの家族です。「廻(かい)」と名付けました。
身の周りの暮らしを知りたい
カット代は4950円。廻を利用したい人は代金に見合う量の野菜や果物を持参します。「はじめは農家さんが対象でしたけど、今は家庭菜園でもOK。カット代に満たないときは、その分値引きします」とタツヤさん。大切にしているのは、暮らしに根付いていくこと。「2018年に開業して、店が地域に根付き始めたかもと思えた昨年、始めました。髪を切るのも、食べるのも、暮らしの一こま。余韻を訪れる人の多くは久留米や周辺地域で暮らしています。身近な人の暮らしをもっと知りたいという気持ちが出発点でした」。それまでにも聞いていたはずの農家さんの話。実際にその人が作った農作物を前にカットしていると、距離感がぐっと近づいた感覚になったのだそう。「乾杯!ってした時みたいな。すると話の聞こえ方も違ってきて」。
マナミさんは、廻の話を聞かされた時「最初は正直、何言ってるの?って思いました。美容室には儲けはありませんし」。ところが今は「もっと多くの人に体験してほしい。自分が作った野菜や果物がお金としての価値を持ち、さらに惣菜になって誰かに届く。そんな体験って普段できないと思うんです」。
モノもヒトも循環
10月20日、宮ノ陣の農家、宮﨑愛可さんが来店しました。持参したのはカリフラワーとレモンとネギ。カット代の半額くらいの量でした。「夏野菜と冬野菜の狭間の時期で量が確保できませんでした。自然の物だから、都合よくいくことばかりじゃなくて。こんな時は後日、残りを持ち込むんです」と話します。
「タツヤさんがカット中に聞いた話をお客さんに紹介しています」とマナミさん。「カットの時間で、今日の野菜はどうとか、これからの季節はこんな物が採れるとか、ゆっくり伝えられる。それが咀嚼を通じて届くことで、農作物の見え方が変わると嬉しいですよね」と宮﨑さん。惣菜を買った人が宮﨑さんの野菜や果物を買いに行ったり、宮﨑さんの紹介で咀嚼に惣菜を買いに行ったりと、物や情報だけでなく、人の循環も生んでいます。
日常の延長にある面白
取材で3人とも「日常の延長」と表現しました。マナミさんは「咀嚼は普段着の料理を提供しています。その材料として近所で暮らす誰かの作物が届く。そういう日常の延長感が面白いし、身近なのに知らない価値に触れられる。それに、廻を始めてから、話したことがなかった近所の人が声をかけてくれることもあって。SNSでも『接してないけど活動見てます』と言ってもらえる関係が私の日常にもあると知りました」と話します。
「美容室はおしゃれな場所。つい構えてしまう」と話す宮﨑さん。自分の作物が間にあることで「この空間と日常との境界が曖昧になったんです。ご近所さんになったみたいで構えなくなりました。余韻が畑と地続きになり暮らしの一部になった感覚ですね」。アプリ予約やスマホ決済で便利な時代に、宮﨑さんは、何日も前に必要な野菜を聞き、収穫できる物でリストを作ります。「利便性という意味では逆行してる。日常につながり暮らしに根差す感覚は、そういったところから生まれるのかも」。
部分的な共感も人との接点に
『街を盛り上げたい』って強い思いがあるわけではないんです。地に足付けて暮らしていたら、日常にある街の良さを見逃しているなと感じたんです」とタツヤさん。文化も芸術も素晴らしい街だから既にある物に目を向けるきっかけを作りたいと考えています。
マナミさんもきっかけの大切さを実感。「自分が好きな物を人に勧めたくなる気持ちってあるじゃないですか。それが廻の楽しさの一つで、それを共有することで、誰かの『好き』が見つかるきっかけになるかもしれない。グッチョも前から知ってはいたけど、実際に手に取ったのは知人から勧められたというきっかけがあったし」。
余韻にはギャラリーが併設されています。「ここでいろんな人と催し物を開いています。『廻』も同じで、誰かの物語や純粋な興味に共感する人はきっといる。全てを理解できなくても、部分的な共感から人と人との接点が増えていくと、きっと楽しい街につながるんじゃないかな」とタツヤさん。身近な人の営みや思いに触れて日常に目が向く。「支え合いとか地域参加とかもたぶん似たようなところがあると思うんです」。(担当・フトシ)
市のホームページで、レイアウト版のグッチョ(PDF)を公開しています。