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私はつくる。田舎にあらゆる選択肢を

筆者が市内の大学で共同講義を担当した際、ひとりの学生の受講後レポートに驚きました。地域福祉への的確な視点に加え、自分がやりたい地域活動の構想を具体的に書いていました。数カ月後、思わぬ形でその学生と再会することに―

筆者が行った共同講義のスライドの表紙

 ちくご川コミュニティ財団(※)の公式SNSに、団体初のインターン生が誕生したという投稿がありました。「久留米大学の1年生」、「小国町で何かしたい」、「北里美弥」。既視感を覚えた私は、前述のレポートを探し出すと、名前も内容も一致。本人の投稿でその後を追うと、レポートにあった「子どもの目線でつくる自習室」をすでに始めていました。

北里さんが書いた受講後レポート。「地域福祉に必要な視点は『当事者意識を持つこと』」とし、地域に役立つ取り組みを問う質問に対し、 実際に訪問したコミュニティカフェを挙げて、 その良さを具体的に記述。さらに、あしあとス ペースの原点となる「レンタル自習室」のアイディアと背景の課題を示していました

限られた居場所や関係性

 「小さな町はずっと同じ顔触れで新しい出会いも少なく、行き場も逃げ場もない。選択肢が限られているんです」。故郷の熊本県小国町で20歳まで暮らした北里さんは話します。「小学5年の時に不登校になりました。きっかけはこれといってなく、固定された関係が苦しくなったのだと思います」。

 中学に入ると、ある日突然、体に力が入らなくなる症状が。検査で「もやもや病」という脳の難病と分かり、手術に向けて運動制限を受けます。「体育はもちろん、合唱や合奏にも参加できなくなりました。憧れのテニス部でも見学続き。先生も同級生も言葉には出さないけど、休まない子が偉いという空気で」。学校はひたすら耐える時間でした。

 手術しても脱力やしびれなどが続き、2年の夏休み明け、「もう学校に行かない」と母に告げ、卒業するまであまり家から出ない生活を送りました。

北里さんが通う久留米大学で取材。過去の出来事や経験を包み隠さず話してくれました

「キャラ認定」からの脱出

 その後、小国高校に入学するも半年で退学。「町を出て、違う高校に行きたかったけど言い出せなかった。その頃、両親も大きな病気をして、家計が厳しいのは分かっていたので」。当時の北里さんを悩ませていたのはラベリング。「本当は生徒会や地域で積極的に活動したかった。でも、子どもの頃に認定された私のキャラは『ひょうきんな人』。高校に上がっても周りは結局同じ面々だから、そのキャラを演じるしかなかったんです」と振り返ります。

 「そういう状況を見返したかった」。退学後は本当にやりたいことを始めます。高齢者の楽しみを作ろうとお茶会を開始。夏休みには近所の子どもたちのために夏祭りを開催しました。「ゲームは1回10円。私が小さい頃、親に気をつかって『やりたい』と言えなかった。だからより多くの子に遊んでほしくて」。

地域の子どもたちのために自宅の庭で開催した夏祭りの様子。スイカ割りや花 火、スーパーボールすくいなど、祭りの準備費用はアルバイト代で賄ったそう

大学進学で転機。目標実現へ

 2020年、新型コロナの流行で活動は休止に。「これを機に勉強しよう」と、高卒程度認定試験をクリアし、2023年、社会福祉を学べる久留米大学に入学しました。
 「どこに行っても知り合いばかりの小国と全く違う環境は新鮮でした。そしてたくさんの出会いに恵まれました」。大学の授業で講師を務めた同財団職員の活動姿勢に刺激を受け、「やりたい気持ちが膨らみながらも、実現の方法が分からなかった。そこに知識や経験を持つ人と会えたんです」と、社会起業家教育の経験を持つ同大教授に、自身の企画と思いをまとめて相談します。さらに、市主催の創業人材育成プログラムにも参加。アドバイザーと共に計画を磨き上げていきました。

「大学生の間にしたいこと」と書かれたレポートをめくる北里さん。「大学1年の夏に書きました。これがあしあとスペースの原点なんです」。その後、人生初の企画書「あしあとスペース(春休み)」 が完成します(右端の書類)
創業人材育成プログラムの成果報告会で人生初プレゼン。あしあとスペースの企画を発表しました

 2024年2月、北里さんは春休みを利用して中高生向けの自習室「あしあとスペース」を小国町で開きました。コンセプトは「田舎に住んでいても選択肢の多い人生を」。事前に話を聞いた同町の高校生11人の多くが求めたのは「青春ができる場」。この声を聞いて「小国にはフリースクールも塾も遊ぶ場所もほとんどない。キラキラした青春を過ごしたいと、当時の私が思っていたことは、5年経った今も同じでした」と感じたと言います。
 「勉強×青春」。青春は何気ない日常にあると考える北里さんは「おしゃべりOKの自習室で友達と一緒に勉強する。それも立派な青春ですよ。そういう時間が生まれる場になれば」と話します。3月末までに9日開設。高校生2人と大学生1人が利用しました。

あしあとスペースの様子。小国町の公共施設の一室を借りて、2月と3月の毎週日曜に開設しました。「勉強に来た子もいたけど、奨学金の仕組みを知り たいと訪ねてきてくれた子もいました」と北里さん

小国の活動はあきらめない

 「小さな町では同じ境遇の人と出会える機会が少ない。そこに私がやる意味はあると思う」。不登校、高校中退、そして難病を経験した北里さんは、5月、朝倉市のフリースペース主催の学習会「どうして学校にいけないの?」に登壇しました。「私の経験に泣いて共感してくれる人がいて。きっと小国にもいるはず。小国での活動は逆境も多いけど、やはりあきらめたくないなと思いました」と、すでに次の企画を練っているそう。「母はがんを経験し、父は病気で介護が必要に。私も持病の不安からアルバイトをちゅうちょしています。それで、いろんな人の働くきっかけをつくる、地元企業とのマッチングの仕組みができれば」。
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 「小国ではできなかったことが久留米に来たことで実現できた。でも、小国での原体験がなければやらなかった」。居場所や関係性に、逃げ場や余白となる選択肢があれば、そこに可能性が生まれることも。
(担当・フトシ)

北里さんが、地元の小国町の医療や教育など、町の現状に対する思いや考えをA4用紙、5枚にまとめたレポート。筆者に向けた手書 きの付箋には次のように書かれています。「去年の5月か6月に書いたものです!!全ての始まりは、ここからです!!めっちゃ生意気なこと書いてます笑 本当にこの5枚で自分は生まれ変われました!!」

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