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保護司と少女の手紙の交換。手書きに込めた思い、塀を越える

「文字から彼女の変化が伝わってくるんですよ」。保護司を務める大坪平さんは手紙を見つめながら、話してくれました。

保護司は、犯罪や非行をした人の立ち直りを手助けする無償の国家公務員です。
大坪さんは現在6年目。久留米市内で約100人の保護司が活動しています

出所までの半年間、手紙を交換

大坪さんに手紙を出したのは、令和3年12月に少年院を出所した少女です。大坪さんはこれまでに17人の保護観察を担当。犯罪や非行をした人が社会の中で更生できるように指導や支援をしてきました。

手紙の少女の担当になったのはその年の夏。保護観察所から頼まれ、少年院に入っている彼女を受け持つことになりました。まずは関係を作ろうと、母親を通じて手紙の交換を提案したところ、少女の方から手紙が届いたそうです。

取材ではこれまでに経験したことを話をしてくれた大坪さん。基本的な知識に加えて「今この子には何が必要なのだろう」と常に考え続けることを大事にしています
少女から届いた手紙は全て大切に保管されていました

「何か伝えたいことがある」。そう感じた大坪さんは、出所までの半年間、手紙のやりとりを続けることにしました。大坪さんが決めたことは二つ。1週間以内に返事を出すこと、そして手書きで書くことでした。「パソコンが楽だけど気持ちが伝わらないからね。どんなに忙しくても、その二つは絶対に守りました」。少しはにかみながら、少女から届いた9通の手紙に目を落とします。

少女から届いた封筒に書かれた日付。「1週間以内に返すのに、届いた日書いとかんと。返事が早いとそれだけでうれしいでしょう」

少女の変化が家族にも波及

「最初の頃は、まともにやりとりができる子ではなかった」と振り返る大坪さん。しかし、徐々に文面に変化が見え始めます。「手紙の交換を続けていくうちに、彼女の文字がどんどんきれいになっていってね。表現も豊かになって、文面から彼女の心情の変化が伝わってきますよ。会っていないけど心は通い合ったかな」。取材時に見せてくれた封書の宛名にも心情が表れていました。嬉しい時の文字は生き生き、ショックな事があったであろう時は文字に震えが見られます。

手前が少女が書いた封書。奥にある文面は大坪さんが送った手紙。「手書きは大変なんだよ。間違えたら最初から書き直さないといけないし」。少女が手紙に込めた思いに応えるため、大坪さんは全ての手紙を手書きでしたためました

彼女の変化は周りにも伝播していきました。「彼女に関わり始めた頃、彼女の両親は彼女に無関心に見えた。もちろん保護司の私にも。それが、彼女が変化し出すと、両親の様子も少しずつ変わってきてね。僕にあいさつや相談をしてくれるようになりました」。彼女が少年院を出る日には、初めて両親がそろって迎えに行ったそうです。

携帯には保護者からもメールが届きます。「本当に胸が締め付けられる告白も届きます。苦しくなるけどそれが現実」

境遇が影響。許し合える社会に

活動を通して大坪さんが感じたのは「犯罪者の多くは普通の人。もともと悪い人はそうそういない」ということです。「非行や犯罪に至る要因は、境遇の影響が大きいと感じます。仕事、住む所、病気や障害への理解、安心できる居場所。こうしたものがない状況だと、ふとしたきっかけで罪を犯しかねない。その前に誰かが気づかないと。親、教師、近所の人、そして保護司とかね」。

保護司の徽章。「心が痛むような境遇の子も多いんです。家に帰れず寒さをしのぐために、自動販売機の熱で暖をとるような子もいた。父親がおらず、いろんな人が家に出入りして居場所がない子にも会った。保護司になって初めてこんな世界があることを知りました。多くの人に知って欲しいです」

自身の境遇を振り返り「僕は人に恵まれた。やっぱり人とのつながりが大事」と大坪さん。「彼女は、大人がどう自分に向き合ってくれるかしっかり見ている。愛情を持って本音でぶつかってくれる人がいると、人は変わるんじゃないかな」と考えています。大坪さんの思いは、手紙を通じて彼女に伝わったのだろうな。取材した私の感想です。

対象者との面接時に押印するカード。「約束をすっぽかされることもあるけど、ぼちぼちここからという気持ちでね」と大坪さん

一方で、社会の側も変わるべき部分があると大坪さんは感じています。「犯罪を犯した人に対して社会の目は厳しい。僕もこれまで何度も裏切られた。でも、本人も関わる人も現実を受け入れることからしか始まらない部分もあると思ってね。それから『まぁしゃあない、これからや』と思うようになった。社会にもそういう寛容さが少しはあっても良いじゃん。深呼吸してみるような感じかな」と柔和な目で訴えました。(担当・ハラキチ)

「地域のおじちゃんですよ。普通の存在でいたい」。大坪さんは保護司として「先生」と呼ばれるのをあまり好みません