「料理人であり生活者」。田舎で暮らして見えた課題を生かしてサスティナブルな循環の仕組みを
「生産者の近くで暮らしたから見えた。田主丸に来なかったらこんなことはやっていないでしょうね」。耳納連山の麓にあるフレンチレストラン「Spoon」。オーナーシェフの井上勝紀さんは、地域課題を逆手に取り持続可能な経済循環を作りました。捨てられる柿を使ったジャムの製造販売です。
え?グッチョで料理人?ジャム?いえいえ、ちゃんと”グッチョ”な記事なので、ぜひお読みくださいね!
見えていない価値に気付いて
2012年に開店。住まいも併設し、田主丸での暮らしが始まりました。「ここで暮らしていると、農家さんが本当に身近で。一年の栽培サイクルや収穫の流れなどをつぶさに知ることができたんです」。その中で、毎年大量の果物が捨てられている現実を知ります。「近所の柿農家さんは、シーズン後に約300キログラムを捨てています。大きな損失になる上、手間は膨大です。冷蔵柿が売れ残ると、1000をゆうに超える数を一つ一つ真空パックから出し、バラエティ番組の落とし穴のように地面を掘って埋めます。
「生産者の日常に触れて、料理人としてできることがあるのではと感じました」。柿ジャムの生産を通して「農家さんに、見えていない価値があると気付いてほしかった」と話す井上さん。廃棄する柿でお金をもらうことに抵抗がある農家も多いそう。「当たり前になっていることほど見えない。『金ばもろたら、じいさんからがらるる(怒られる)』と言われたこともあります。それでも私は、きちんと代金を支払いたい。その価値がある物だから」。
健全なビジネスモデルを
とはいえ、ジャム作りは大仕事。井上さんとスタッフの2人がかりで丸3日、店を閉めて作業します。3台の寸胴鍋を使って3時間煮詰める。その繰り返し。「焦げると苦みが出るから常にかき回し続けます。沸騰すると粘り気のある柿ジャムが飛び散って、意外と危険なんです」と苦労を語ります。
今シーズンは180本を製造。「年1回しか出ないジャムを楽しみにしてくれるお客さんがいます」。生産者と料理人、消費者の全員が幸せになれる形です。「めちゃくちゃ大変で、店を開けたほうが利益は大きい。でも、できることを生かして、持続できる健全なビジネスの形を作りたかったんです」。
いろんな側面の境界を越える
「この葉物は苦みが強いからね」。
「僕は火を入れるから大丈夫ですよ」。
最近、井上さんが取引するようになった生産者、野中瑞生さんとの会話です。プンタレッラ、アスパラソバージュ、カステルフランコ。農林水産省の関連施設で働いてきた野中さんは退職後、海外で作られる品種の野菜の栽培を始めました。とあるスーパーで野中さんの出荷品を見つけた井上さんは、「こんな貴重な野菜を作る人が近くに住んでいるなんてびっくりしました」と笑顔を見せます。
このように、生産者の近くで暮らしているからこそ知ったことは、他にもたくさんあったそうです。収穫が野生動物や天候に大きな影響を受ける、農業のばくち的な側面も知り「農家の皆さんと同じ気持ちで、シーズンを終えたいと思うようにもなりました」。
井上さんは土地に根差し、地域の人と共に歩んでいます。生産者と同じ地面に立ったことで見えた現状に、料理人としての経験や技術を添える。地域で好循環が生まれました。
料理人であり一人の生活者。井上さんのように、誰もがいろんな側面を持っています。その境界を越えてみると、見える景色も変わるかも。
(担当・フトシ)