地域福祉マガジン【グッチョ】@久留米市地域福祉課

”○○”し合えるまちへ。 支え合い、助け合い、気に掛け合う。そんな人や動き、取り組みなどを紹介するマガジン「グッチョ」を展開中です。 ”ぐっちょ”とは、「何かを一緒にし合う」という意味を持つ、福岡県筑後地方の方言。日常に転がっている”グッチョ”を記事にします。

地域福祉マガジン【グッチョ】@久留米市地域福祉課

”○○”し合えるまちへ。 支え合い、助け合い、気に掛け合う。そんな人や動き、取り組みなどを紹介するマガジン「グッチョ」を展開中です。 ”ぐっちょ”とは、「何かを一緒にし合う」という意味を持つ、福岡県筑後地方の方言。日常に転がっている”グッチョ”を記事にします。

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記事一覧

青パト×フードドライブ。防犯から生まれた支え合いで校区に広がる善意

カット代は農作物で。惣菜に生かす。お金を介さないことで生まれる「日常の延長感」

宅配弁当に手紙を添えて13年。もしもを守る、いつもの関係

外国人が暮らす課題ってどこにあるの?文化芸術で実現したい共生社会

命を支えるということは「見ようとする。思いを寄せる」。ぬいぐるみに表れた関係性に触れる

50歳離れた同級生の「いっちょん分からん」から生まれた関係

青パト×フードドライブ。防犯から生まれた支え合いで校区に広がる善意

久留米市では、各小学校区で防犯活動として青い回転灯のパトカーが走っています。通称「青パト」。金丸校区で、青パトから始まった支え合い活動があります。人との接点から新しい気づきが生まれ、関わる人の意識に変化も生まれました。 青パト見て「使えたらいいな」「青パトを活用してフードドライブをできませんか」。金丸校区で暮らす樽美岸惠さんの提案をきっかけに、フードドライブ活動「ワンダフルデイ金丸」は始まりました。困っている人に食料や生活用品を配ります。 きっかけは、樽美さんがコロナ禍の時

カット代は農作物で。惣菜に生かす。お金を介さないことで生まれる「日常の延長感」

水天宮の門前、久留米市瀬下町で美容室と惣菜店が並んで営業しています。ここで行われているのは「廻」という一風変わった取り組み。お金を介さない取引で生まれる感覚とは―  カット代を農作物でもらい、惣菜の材料にして販売する。始めたのは美容室「余韻」を経営するノダタツヤさんと、惣菜店「咀嚼(そしゃく)」のマナミさん、ノブコさんの家族です。「廻(かい)」と名付けました。 身の周りの暮らしを知りたい  カット代は4950円。廻を利用したい人は代金に見合う量の野菜や果物を持参します。

宅配弁当に手紙を添えて13年。もしもを守る、いつもの関係

配食サービスを行う「宅配クック123(ワン・ツゥ・スリー)」は弁当に添える献立表に約460文字の「手紙」を書いています。内容は時事問題や季節の話題から、芸能ネタ、スポーツ、地域の風習や伝統行事とさまざま。正月を除き13年間ほぼ毎日掲載し、北原辰水さんはそのほとんどを執筆しています。「高齢の利用者さんは弁当の受け渡ししか接点が無い人も多いので」。 利用者からのお礼がきっかけ 毎朝6時、北原さんは手紙を書くために、一人パソコンに向かいます。調子が良ければ15分、筆が乗らない時

外国人が暮らす課題ってどこにあるの?文化芸術で実現したい共生社会

今回のテーマに向き合うきっかけは、昔に取材した人からの電話でした。「昨日の夜ね、隣の居酒屋で働いている外国人が外で何か叫んでいたの。夜中だし突然で怖かったけど、よく考えると、この人は誰にも言えないつらい気持ちを抱えて、こらえきれなくなったんじゃないかな。私は外国から来た人が、どんな気持ちで暮らしているのか、結局何も知らないなって気付いたの」― 「外国人が抱える課題と言うけど、課題は私たちの中にあるのかもしれない―」。 ・・・・・  久留米シティプラザは良質な文化芸術を届ける

命を支えるということは「見ようとする。思いを寄せる」。ぬいぐるみに表れた関係性に触れる

久留米で30年以上、ホームレスの暮らしを支える活動団体があります。「伴走支援はどちらかが死ぬまで」と覚悟を語るのは「久留米越冬活動の会」代表の畠中茂生さん。人が人を支えることとは― 毎月第4火曜日、小頭町公園で「越冬炊き出し」があります。同会が「越冬」目的で始まったものが通年開催に。 毎回30~50人ほどが食料や衣類、その他の生活物資を求めて集まります。火曜ごとのパトロールでチラシを配って路上生活者などに情報を届けます。「ここ数年は顔ぶれが変わりましたね。昔はいわゆるホーム

50歳離れた同級生の「いっちょん分からん」から生まれた関係

木下(きした)修一さん(72)と大倉将太さん(21)は年の差50歳の同級生。令和5年3月1日、県立明善高の定時制課程を卒業しました。1年生の頃は「時々、お互いに声をかけることがある程度」という2人。その後徐々に会話が増え、距離が縮まっていきます― 私はおじいちゃんみたいなもん木下さんは、中学卒業後、家業を継ぐため修行に出ます。その後、父親の事業を継承し、27歳で刃物加工会社を創業。「でも、心に刺さった小さなとげのように、高校進学の気持ちがずっと残っていました」。事業が安定し